今ある幸を噛み締めて
神の民の里に着いた三人は直ぐ様長老の所へ行ったが、懇々と眠っており収穫ゼロである。
勿論、ローシュとセニカのことは他の二人と共に、伝わっていることは多い。
しかし、その後を知っている人は少なく、セニカが無謀なことをした感情だけは理解できた。
「ローシュとセニカは恋人同士だったのよね」
共に並んだ像にはお揃いのバングルが並んでいる。
熱烈なローシュを想う詩を残した程だ。
少なくともセニカからローシュへの愛はとても深い。
二人の仲を語られる度に最後の切ない末路に遣る瀬無さを伴う。
過去は変わっていないのである。
つまり、イレが倒れる前に懸念していたことが良く分からないのである。
それにセニカはどこへ行ったというのだろう。
ベロニカの手には一冊の本がある。
とある精霊についての書かれたものだ。
忘却の塔にいた謎の生き物のことだ。
『ロトゼシアの大地より生まれし、悠久の時間を紡ぐ精霊。
その名は失われし時の化身。
失われし時の化身が守りしは刻限を司る神聖なる光。
その光、輝き燃ゆる時、失われたものが大いなる復活を果さん』
時の化身。この神の民の里の壁画にもある。
忘却の塔に登る生物、あの手だけが異様に細長くうねうねしている白い餅みたいなもののことだろう。
セニカを囲い同じような時の番人に姿を変えさせていたことが印象的だ。
「時を司るって言うのは分かるけど、失われたって何?」
壮大過ぎる話ではあるが、こちとら邪神をも相手にしたのだ。
それぐらいは許容範囲内である。
「時間がなくなるってことでしょうか?」
時というものは普遍的に一応に刻まれるものだという認識はある、それが無いというのは、セーニャは年齢という時を吸い取られた姉のベロニカを見る。
「お姉様みたいに時を取られてしまったのですか?」
「…あのねー。確かにあたしの肉体的にはそうかもしれないけど、セーニャと同じ時は過ごせているわよ?」
失っているわけでは無い。この手の文章はどうとでも取れそうなのが混乱を招く元である。
しかし資料はそれしか無く、ここから考察していくしか無い。
「マヤか…」
年齢に関して思い起こすのは黄金の呪いで身体が金になり、五年の歳月を過ごす羽目になった妹。
勇者の力で元に戻ったがその間の五年は成長せずである。
「確かに時は止まっていたでしょうけど、それは失うというより飛ばされたと言う感じよね」
確かにマヤの時は止まっているのであって、五年間が失われたわけでは無いか。
と言うことは、どう言うことだと、考えるのが苦手な頭で考える。
情報ありきでの経路を考えたり作戦を立てるのは得意な方だと思うが、こう言う筋道を立てて証明していくカテゴリーはどうも苦手である。
「本来あるべき時間が途切れるってのはどうだ?」
「適当に言えばいいってことじゃないのよ?」
言いたいことは分かるけどと、ダメ出しに渋い顔をするカミュを放置して、ベロニカは頭を捻る。
単純に考えるのならばこれ以上時を刻むことができなくなった。
天命を受け、生命の大樹へと還ることと捉えることができる。
つまり、死である。
しかし大樹に行くことができない魂がなおも刻むことができない時を紡ごうとして化身となったのだろうか。
だが、そうなると悠久の時間を紡いでいると言う一文の説明ができない。
それに守っているのは限られた時間と言う光。
光があの複雑な光沢を持っているオーブだとして、時を溜めるオーブを割ることの意味。
そして、先ほどのカミュの言葉。
「まさか、失われた時って…起こるはずだった時間?」
ベロニカが言葉を発した瞬間、カミュとセーニャは共に番人が紡いだ言葉がフラッシュバックする。
『時のオーブとは、失われた時の化身が遥か古より、紡ぎ続けたロトゼタシアの時の結晶』
忘却の塔にあるサラサラと流れ落ちる時の砂は時の化身が紡ぐ時を待っている。
時の化身の正体は遥か昔より、取り残された記憶の具現化。
『その時のオーブを壊すことで時空の流れが乱れ、全てが過去に巻き戻るのです』
壊し破片となったものは次の化身を生み出す。
新たに生まれた化身は本来紡ぐはずだった時を糧に新たな時を紡ぐ。
「今のは…」
カミュはチカチカする視界に目尻を抑え、動揺する心を落ち着かせる。
「…失われる。行く場所がなくなった時間という意味でしょうか?」
セーニャは言葉の意味を理解できず眉を潜めて、周囲を見渡す。
既に見慣れた神の民の里の一室で、先程の情景は浮かんで来なかった。
「ちょっと! なんなの?」
突然、動揺しだす二人に怪訝な顔を見せるベロニカ。
「お前は見てねーのか…っ!?」
なぜ彼女がその光景が見れないのか…その結論に達した時、心の底から否定したくなった。
やり場のない怒りと悲しみ、思わず拳をすぐ横にあった壁に叩きつける。
「何よ?」
「何でもねーよ。確かな事は彼奴が…イレが時を渡ってここにいるって事だ」
話題をすり替えるように今重大な方を告げる。
言われてみれば、死に際に魔王がそんなことを言っていた気がする。
意味が理解できず考えることを放棄していた。
「ど、どう言うことよ!」
「詳しくは分からねぇ。だが、セニカがやったように彼奴も時のオーブを破ってここにいる。だから、俺らの知らない事を多く知っていたんだ」
何の根拠のない戯言と笑い飛ばしたい。
時空を超える何て馬鹿な事をしたのだ。
だが、セニカを救うと言う意味が少し分かった気がする。
彼はローシュに会わせる為に彼女を過去に送ったのだ。
「な、何でそんな事をしたのよ。何がイレを突き動かしたって言うのよ!」
しかし、仮にそうだとしても、時を超える何て生半可な事、余程じゃない限りするわけが無い。恋人を殺されたセニカ程の動機が必要だ。
「それはお姉様、お姉様が…お姉様が……」
長いスカートを皺になるぐらい握りしめ、泣かないように必死に堪える。
しかし、喋ろうにも込み上げる嗚咽が喉を詰まらせる。
「セーニャ?」
異様な反応を見せるセーニャに戸惑いながら、近付く。
そんなベロニカの混乱を他所にセーニャは叫ぶ。
「っ! お姉様、私は一度、髪を短くしたことがあります!」
叫んだ拍子に目尻に溜まっていた雫が宙を舞う。
一瞬の静寂があたりを包み込んだ。
「…え?」
戸惑う。生まれてこの方セーニャもベロニカも毛先を揃えるぐらいしか髪を切ったことはない。
それはラムダに伝わるあの儀式があるからである。
想いの人を見送るために、焚べる炉に差し出す髪の長さは想いの強さを表す。
「でもそれはお姉様の知らない事実」
なぜ知り得ないのか、そこにベロニカの存在がない。
あの時、ウルノーガを倒した時、なぜかこう思ったではないか。
『今この場にいることが途轍もなく幸せな気がする』
そう思ったではないか、あの時イレはどんな表情をしていた? 嬉しい中に安堵するようなそんな表情をしていなかったか?
「悪い。どう説明したら良いか分かんねぇ。ただ言えることは相棒が求めたものにベロニカお前も関わっていたってことだ」
確信しているであろうカミュが言葉を濁す。
ベロニカ自身の為に危険を冒してたと言うのだ。
「そんなの認め…」
「お姉様! お姉様が自らの身を犠牲にしたから!!」
仕方がなかった。ああするしか解決方法が思いつかなかった。
そう何度も言い聞かせても、何もせずに気を失っていたことにセーニャは押し潰されそうになっていた。
だけど、生き残ったものの責務は果たさねばならない。
その意思で、その意思だけで使命を全うしていたのだ。
「……本当のようね」
何納得してるのよ。何バカなことを…。
大樹から勇者を守る使命を帯びたその時から、覚悟の上だった。
なのにそのことを不服として、危険な賭けに出たと言うのか。
「もう馬鹿なんだから、でもまあ、あたしは今生きているわ。イレとあなた達のお陰でね」
こんな遣る瀬無い笑みを浮かべたのはいつ振りだろう。
歴史は変更された。
そして戻されたことで、行き場がなくなったその時間が時の化身となったのだろう。
「そうですね。今お姉様は生きています」
同じように今この時間をありがたく思い、笑みを浮かべる。
「時の化身と関わることでその失われた時の記憶が戻ると考えても良さそうね」
カミュがセーニャが…そして死ぬ直前の記憶を朧げながら戻したベロニカ。
目に見えぬその化身が力を貸してくれている。
『その光、輝き燃ゆる時、失われたものが大いなる復活を果さん』
光とは巻き戻されて行き場を失った時間。
復活とは記憶が蘇ることである。
仮説を通り越して妄想だが、その説でどこかスッキリした気がした。
「セニカ様は時の番人になっていましたわ。と言うことは一度、セニカ様も時を失ったと言うことでしょうか?」
視線を外し、まだ分からない疑問が残っているとセーニャは問う。
読み解くことができない難解な言い回しに首を傾げるしかない。
砕き損ねて、力尽きたセニカ。
そのセニカをなぜ時の化身は番人に仕立て上げたのだろう。
解けない謎はまだ多くある。
「…取り敢えず、ここで俺たちが取れる情報はここまでだ。戻るぞ」
すっかり衝撃的な事実を突きつけられたのにあっさり納得して受け入れた双賢の姉妹に遅れながらも、見えた事実を仲間…そして相棒に確認したいとカミュは思った。
許された存在。
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